風の旅人 14号「自然と人工の律動」

おっしゃ!

重い想いが詰まった腰を上げよう!なんだかよくわからない“大切な何か”を探していかないと。言葉が見当たらないから、写真を撮っていたんじゃないか?って

20代前半は旅に夢中でバックパックを持って色々な世界を見るのが刺激だった。いまではシェアハウスという呼び方に変わったが、当時はゲストハウスといって六本木や原宿にあった外人の旅行者達のホステルみたいな場所に共同生活をしていた。六本木や新宿でホステスやカジノなどの夜の仕事をしてお金を貯めて、次の渡航先に旅立っていく。そういう連中が木造3階建の一軒家に常時20人くらいはいた。その時の友人が「エイスケ、この雑誌が面白いぞ!」って「風の旅人」の創刊号をもってきた。中はチベット族のゲルの写真が印象的で、これスゲーなと言って歓談してたのを覚えている。スタジオも経験し、師匠のアシスタントも卒業して何らかの仕事をしていた頃だったと思う。師匠(女性)の影響もあってずっと風景を撮っていた。ただ自分の中でこうだ!これだ!という感覚はあっても、人に言葉で伝えることができないまま撮り続けていた。おっしゃ!友人の手前もあるし、営業に行ってみるか!と「風の旅人」に電話をかけた。たしかユーラシア旅行社という名前の場所だったと思う。その当時自分がカッコいいと思う風景写真を持って、永田町の編集部に向かった。当時はほんと何も考えないで(笑 写真を見てくださいって勢いで編集長に会いにいった。50枚くらいの四つ切りのプリントを持って。編集部には巻頭の白川静の文章をモニターでみていた忙しそうな編集長がいた。「これはどういう意図で撮影してるの?」当たり前の質問に俺は何も言えない。「いや地元とか気になったところとかを….撮ってます」としか言えない。「自然が好きなの?」とか言われても別に考えたことないし、山岳部だったような気がするけど高校の時の暇潰しだし。といって黙っていたら、なんと編集長が「素晴らしい!なんとかページにしよう!」って言ってくれた。俺は心の中でヨッシャ!!そしたら「よし、この写真に文章を書いてくれ!」って頼まれた。

自分「はっ?文章なんて書いたことないっす」

編集長「この本屋を紹介するから、まず日野敬三という作家の本を読みなさい」

編集長「そしたらこの写真を預かるから、後日に連絡します」

と多分20分くらいだったと思う。帰りは写真を預けたから、丸腰状態で本屋のアドレスだけを持っていた。当時の所属写真事務所に帰り、「褒められたぜ!」とかいって酒を飲んで大騒ぎしていたのを覚えてる。教えられた日野敬三の本を数冊買って読んだら、テーマは「都市と自然」という事だった。撮影するなかで自然とか都市とかを意識したこはなかった。見た事ない場所や好きな場所、いつも行く場所とかを撮影していただけだ。高校の時から産業廃棄物業者でアルバイトをしていたからか、廃棄物とか工場がもう日常だった。その辺が自分の原風景に近いのかもしれない。数週間後に編集長から連絡があった。『「自然と人工の律動」っていうテーマをつけたから、文章を書いてくれ』と。???だ!だいたい律動って何?辞書をひくとリズムって書いてあるし、リズムといえば…. そうだパンクだ!地元の横浜のパンクバンド「PILEDRIVER」の歌詞を書かしてもらえばいいんじゃね?とか思って四苦八苦して提出した。

「見えているのか あの光 聞こえているのか この騒ぎ 臭っているのか この悪臭 感じているのか 深い傷 腐っていても始まらない 感じているぜ俺達は M.Y.B.C  PILEDRIVER 」

この歌詞がとても自分の中ではまった。郊外というか新興住宅地、歓楽街、雑踏、廃墟、路上、岸壁、高速道路、廃棄物、ガソリン臭、漆黒な海水、等と過ごした時間に。草木の緑なんて意識したことがなかったけど、そこには確かに繁茂した自然があった。

いま思うと編集長はすごく写真を理解してくれてたんだと思う。ずっと心に引っかかってるし、掲載されたのは本当に嬉しかった。いまでもなんだかよくわからない“大切な何か”があるんだろうって、ずっと思って撮っている。

 

                            daiba yard / 2018.11

 

                           風の旅人 14号 / 2005