赤羽の奇跡!政権交代、鳩山内閣誕生!10年前っス。

電車の中で電話が鳴った。「んんっ?東京03だぞ、仕事関係かなっ」と思って空いている車両の中で受けたら、「◯◯◯◯の選挙事務所ですが、お話を聞いていただけたらと思いまして電話させていただきました」と。「あっ?なんで電話番号知ってんの?勘弁してくれよ、電車の中なので切ります」と告げた。そういやいま2019年7月20日、世の中は参議院選挙のようだ。ってことで突然の電話に頭きたけど、昔の事を思い出したので写真を整理してみた。

2009年。それは今振り返ると俺にとっての激動の年だったようだ。師匠の突然の死、写真事務所の創立メンバー(師匠の兄弟子達)との対立の激化、地元横浜のパンクバンドをROLLINGSTONE誌でDUNE編集長の林文浩の連載に掲載。また林さんと同時多発ウラジオストック雑誌掲載。まだなんかあったような気がするが、極め付けは衆議院選挙投票日前日の民主党の鳩山由紀夫氏の遊説4カ所を同行取材するというものだ。仕事の依頼は写真事務所のクライアントが民主党のロゴを作ったとかそんな縁で我々に舞い込んだ。その頃の世の中は自民党に元気が無く、民主党のマニフェストが民衆の心をグッと掴んでいた。高速道路無料化、こども手当、普天間基地問題(最低でも県外)等を掲げていた。もしかしたら、政権が変わるんではないかという風潮のもと選挙前日の2009年8月29日に鳩山代表の4カ所(蒲田、赤羽、中野、練馬)を同行した。こちらはフォトグラファー3人体制で臨んだ。ヨリ、ヒキ等なにが起きても対応できるようにと。まさか人生で選挙のしかも超有名な政治家さんを撮ることになるとは思っていなかったので、場違いにならないように洋服は上下黒にしていたな。(今もそうだけど、笑)4ヶ所の遊説はもすごい人気で人が溢れかえっている、鳩山待ちみたいな。そんななか赤羽でのエピソードがある。

ロケハンはなんと当日で赤羽駅前の遊説現場を見渡すと選挙カーの背後にビルがあった。広告の担当者とそのビルの上層階からカメラアングルを考えながらエレベーターと非常階段で降りていった。俯瞰撮影できそうな場所は7階の場所しかない。ただ遠すぎる、真上からすぎる。一応撮影はするが、厳しいだろうなという諦めの感じだった。ラフも3,4階からの斜俯瞰の構図だった。下町のこれから鳩山代表が来るという異様な興奮状態のなかで、俺は2階付近の非常階段から出番を待っていた。候補者の演説が一段落し、鳩山代表が登場すると周囲のSPやら警察やら関係者の顔つきが強張る。フォトグラファーの仲間が動き出すのをビルの上から確認できた。「太輔、いい場所撮ってんな〜、ありゃ真横じゃね?テレビ映んじゃね?」とか思い、一般の人は普通選挙カーの上に乗る事はできないだろう。応援演説もそんなに時間があるわけではない。俺はビルからの担当だから、7階からの絵から撮り始めた。やはり豆粒くらいにしか写らないなと思い、非常階段で降りていくなかドアの開閉を確認していると、なにやら4階あたりの小さなドアが開いた!あれっ!なんだこのドア!と思いつつ開けて外に出るとこれがちょうどいいアングルだ。まじかよ、遊説丸見えじゃんって!そこから階下を見下ろしていると真っ先にSPと目が合った。さすがVIPのセキュリティーだ。カメラを覗く俺を見ると納得したようだった。自分でもかなり興奮していると、下の担当者がビックリした顔で俺に親指を立てグッドジョブのポーズをしている。そっち側からは俺は丸見えだ。そんななか演説が終わり歩いていると、数人の担当者が鼻息荒く「いや、まさかあの場所から福持さんが出てくるとは思わなかったですよ〜、あの辺りからいい絵が撮れるんだろうなって思ってたので、福持さん!奇跡です!」とガチの握手をされた。全部で15分くらいの出来事だった。俺もいまでもロケハンの時に開かなかったドアが、開いたのには本当にビックリしている。(壊してはいない)当時はノリにのってたのでそんなことで悦にひたってたな。

翌日の投票日の新聞の折り込みチラシで約300万部が配られた。俺の写真のタイトルは「あなたが歴史をつくる」いい感じじゃん〜ってほくそ笑んでた。なんと投票結果は総議席の3分の2を上回る308議席の当選で民主党が勝った。歴史的な瞬間にいたことと、その代表を撮影できたのは俺の人生でも奇跡だ。政治に興味がない俺が首相候補を撮影するなんて、しかもあのドアが開くなんて。打ち上げの赤坂の中華料理屋での関係者のテンションの高さはいまでも覚えている。普段はあまり会わないオジ様達に

「この福持さんが、演説中の鳩山さんの後ろに現れてね〜、いい場所から撮影してくれたんですよ〜」

「ロケハンの時には開かなかったドアが開いたんですよ〜」

なんて言われて知らない人達からどんどんと酒を注がれまくった。しこたま飲まされてスーツの軍団の中で普段着の場違いな俺らがベロベロだったな。

たまにある奇跡。いま思うと確認ミスじゃん(笑

                               民主党広告/2009年8月30日
                       民主党広告/2009年8月30日                   民主党鳩山代表 蒲田遊説/2009年8月29日              民主党鳩山代表 練馬遊説/2009年8月29日
民主党鳩山代表 赤羽遊説/2009年8月29日           民主党鳩山代表 中野遊説/2009年8月29日

リアル ホットロード!家出娘とシャコタンと喧嘩とシンナーの江ノ島。

よ〜うやく形になった。江ノ島のエッちゃんを雑誌に掲載できた。「ホットロード」のモデルの話を。まぁ、2ページ、1000文字位だしほんとに簡単な事しか書けないけど。家出とシャコタンと喧嘩とシンナーの江ノ島。ずっと聞いてきた江ノ島が走れなくなった話。雑誌では書ききれないことを少しここで書こうかな。エッちゃんとはもう25年以上前に山下公園で俺のツレがロカビリーチームで遊んでて、そこで会った。あまり当時のことは覚えていないけど、そんなふうにして当時の遊び仲間になったんだと思う。ヤンキー上がりの独特の雰囲気は他の人に比べてやはり存在感があった。気さくな性格でみんなの人気者だったのを覚えてる。それからは仲良くなってなんだかんだ毎日遊ぶようになった。 あの頃は遊びのジャンルがいっぱいあった。ロカビリー、サイコビリー、パンク、ハードコア、レゲエ、ヒップホップ、スケーター等、乗り物で分けるともっといっぱい。そういうジャンルをミックスした感じの人が面白かった。ハーレーのFLで革ジャンに革パンのセットアップなのに、脱ぐとドレッドでレゲエだったり、そういう感じ。エッちゃんのファッションはその中でも抜群だったな。パンチパーマに鋲ジャンで絵柄が風神と雷神。ハードコアパンチ!とか言って。家に遊びに行くとドラエモンの座椅子に座って紅茶はウェッジウッドの器で飲む。家の壁には菊水の旗とパンクの仲間の写真と印象派の風景の絵が貼ってあるとかで。そう、何年振りかに家に遊びにいくと昔と変わらないインテリアのなかに「映画ホットロード」のポスターがあった。

「あれ、みました?」

「あんな綺麗な話じゃねぇよ、もっと残虐で怖かったよ」

俺が知り合った頃のエッちゃんはもう江ノ島を卒業した後だ。荒れた中学時代を経て、彼は家出して江ノ島に居着く。グラチャンが全盛の頃1986~1989年とか。チャンプロードで企画「湘南グラフィティ」が連載していた頃だ。この企画はまず名前がカッコイイ。図書館で見たけど、毎日のように江ノ島にくる子達を月刊で巻頭連載している。改造車に箱乗りの女の子がピースしているような写真。もちろんエッちゃんはその中心にいた。家出して駅の端で寝泊まりしていくなかで、友人ができて近くのアパートに家出仲間と住む。当時の江ノ島は毎日がお祭りで、夜になると国道134号線が車やバイクのライトで照らされて、ずっと遠くの海岸線まで見えて、それがとても綺麗でいまでも印象に残っていると。そんななか、10代の家出少年と家出少女が恋に落ちて、付き合うことになる。それが「ホットロード」のモデルの2人となったようだ。彼の言葉使いは悪くて、わざと彼女(ハルミ)のことを「おい、ブス」とか「ハルマキ!」とか呼んでいたそうだ。雑誌チャンプロードで江ノ島が注目され、地方からもどんどんとグラチャン族とギャラリーが集まってくるようになる。グラチャン族とは車を改造して、サーキットに行って走んで楽しむ人々。そういった着飾った車(ほぼシャコタン)やバイクが江ノ島のローソン前にくるとエッちゃんが身振り手振りで盛り上げる。それに応える車がエンジンでコールをキッてくる。湘南コールという独自のスタイルも生まれた。一日中そんな感じだったみたいだ。江ノ島が134号線がシャコタンとギャラリーであふれてる。ウンコ座りが格好よくて、シンナーを吸ってナンパする日常。

「シンナーって、歯が溶けるんですよね?」

「シンナーじゃ歯は溶けねぇよ、甘いもの食って歯を磨かないからだよ、まぁ俺の前歯はセラミックだけどな(笑」

だが、ついにそんな江ノ島が走れなくなる日がくる。チャラいイメージがあった江ノ島は「ホットロード」でも描かれているが、流行るにつれて東京から喧嘩目的の輩が襲撃に来たり、族狩りが湘南を怖がらせていくようになっていった。エッちゃんも何度も拉致られたりしたようだ。「俺なんかチャラく見られたんだろうな〜、あいつらマジだから怖えんだよ、まぁやる時はやってんけどな」と。そんななか、決定的な事件が2つ起きた。発砲事件と片瀬江ノ島駅前暴走注意事件という2つの殺人事件で警察は徹底的に江ノ島から車や単車を締め出しにかかる。江ノ島大橋入り口ににゲートが設置されて夜間は入れなくなった。雑誌で流行りになって、輩が大騒ぎして収集がつかなくなって、事件が起きて人が離れていく。そんな江ノ島があったようだ。「漫画ホットロード」の最後は、ハルヤマが和希に向かって「おい、ハルマキ!」と声をかけるシーンで終わっている。

         江ノ島のエッちゃん/ 実話ナックルズ/2019年8月号   レディースが湘南にいた時代/実話ナックルズ/2019年8月号