Within You,Without You

「先生、頭がゴツゴツするんだけど?」

「あ〜、頭蓋骨を繋いでるホッチキスだよ、20年くらいしたら溶けてなくなるから心配ないよ、テンカンがあるかも知れないから注意してね、病名は高次脳障害だね」「そういえば障害者手帳をとります?」ざけんなよ!と思ったっけな。

地元の遊び仲間のユキとヤジとサルくんで20歳の夏の8月にインドのマナリって町で集合しようって約束した。現地集合で。元町のBARで働いていたヤジが1枚の紙切れを持ってきて「ここにしようぜ、なんか面白いみたいだぜ」って言ってきた。ヤジはタメでなんかデカイ事をしでかそうな雰囲気を持った奴だった。紅葉坂の上のサルくんのマンションに同居してた。その紙切れはガイドブックの地球の歩き方のインド編から切り取られた1ページだった。オレとユキがミナト産業、ユキとヤジが建設現場のエスクラブ、ヤジとサルくんがBARで働いていた。その頃は廃棄物現場が宝の山で遊び場というか溜まり場だった。仕事が終わると現場で腹ごしらえしてからどこに行くか決める。廃棄物現場には、前日の百貨店の弁当からなんでもあった。ある時はスピーカーを10台くらい集めてアンプにつないで、トラックに乗せて磯子の岸壁まで運んで爆音をならしてそのまま捨てた。米軍の通行許可証も持ってて、追いかけられても警察も入って来れないしある意味無敵だった。

ズドン!棍棒で背中をド突かれたような衝撃で目が覚めると、ベッドに紐でぐるぐる巻きで縛り付けられて、口や鼻やチンコから管がついてた。なんだこりゃ?それよりもさっきまでみんなで歩いていたお花畑や大きな橋の下の河の水の色や橋を渡ろうとして目の前に現れた白髪のジジイの方が気になってた、あれなんだ?夢か?つか、ここはどこだ?病院?単車は?あれっ?手が動かない、あっ、事故ったのか俺…. えっ!記憶がまったくない。目の前にいる人たちは誰だ?なんか知っている気がするけど、よくわかんねぇな。

知らない電話番号からの着信に出ると、何やら英語だ。何とか聞き取ろうと頑張るとインドのユキから日本に来たら俺に連絡するように言われたようだ。どうやらイスラエル人のミッキーという名前で町田にいるとのこと。次の日に会うことになった。車で向かうと駅近くで指輪を売っているロン毛の黒髪のスパイラルを見て、目が合った。あ、間違いないパーティピープルだ。露天(バスター)をしていて、クロムハーツの偽物とかをメインに売ってた。今は100均で売っているレーザーポインターが当時は1万5千円くらいで売ってたな。ミッキーはコミュニケーションが上手く、ジャンケンが強くて商売上手だった。1歳違いでウマが合って、それからずっとツルんでた。ユダヤ人のミッキーとその友達のジャッキーとパーティーでよく遊んでた。

意識が戻るまでずっとベッドで暴れていたらしい。その後様子がおかしくなって検査したら脳に血が溜まってたから緊急で手術した。見晴らしのいい高速道路の入り口に行く坂道で曲がれなくてフェンスに激突したとのこと。その後血だらけで高速を歩いているところを観光バスの運転手さんに助けられたそうだ。母親が運転手さんにお礼の挨拶に行きなさいってずっと言ってたっけな。

「When you see we’re all one and life flows on Within You and Without You.」
(ビートルズのWithin you,Wtihout you、インドでカセットでよく聞いた曲。)

タニヤは富士山のパーティーの帰りにミッキーのインドの友達で東京まで車で送った縁で知り合った。スウェーデン人だけど、ロシア人ぽい名前。2,3歳上で原宿のゲストハウスに住んでた。(今はドクターコパの家になってる)ビザかなんかの関係で日本と韓国やアジアを行ったり来たりしていて、よく引っ越していた。テレ朝通りの潰れた蕎麦屋のゲストハウスで一緒に住み始めた。そこには狂った親父を閉じ込めていた8畳くらいの地下室があった。壁一面に正の文字が書かれ、あちこちに快晴!とか文字にならない字が書き殴ってあった。バブルで土地が何十億かで売れたとかなんとかで家族がぶっ壊れたとか、300万を持って通学していたという中学生はレイプで務所にいるとか怖い家だったな。部屋から東京タワーが見えて好きだったけど、数ヶ月しか住めなかったので広尾のゲストハウスのハネザワヒルズに移った。ハネザワヒルズは3階の洗濯部屋を入れると6部屋くらいあったボロい豪邸。バックパッカーとかパーティの仲間とかが住んでた。ほとんど外国人でいっときなんて俺以外は全員ホステス。彼女らはよく昼過ぎまでリビングで酒飲んで騒いでたし、俺たちも毎日が宴会状態だった。タニヤは頭と身体がぶっ壊れて人に身体を触られるのを異常に拒んで、いつも生意気で怯えてた俺に本当に優しくしてくれた。彼女はジオイドの2階から1階のフロアに吐いちゃったり、六本木で裸足だったり、俺の親父から実家に来るなって言われたり、新宿2丁目で喧嘩して転んで血だらけになったりしたけど、いつも一緒にいてくれた。ゴアで病院にいる時も毎日バイクでお見舞いに来てくれたし。あの時の自分の全てをさらけ出せた彼女だったな。

PILEDRIVERの歌に「広がりを求めて飛び出していけ!」っていう詩があって、旅行に行くことや地元から出る勇気をもらった。あの頃はパンクとパンチやレゲエは知ってるけど、ヒッピーってなんだ?いまはトランスだぞって、知らない何かを当時の仲間達と手探りで模索してた時代。俺はやりたいことが見つからずにとにかく何かしなきゃと一生懸命で、東京で出会った人達の影響で写真を撮り始めた、そんな自分がそこにいた、ネガの中にいた。あの時にあの場所でインスピレーションをくれた人達には感謝しかない。ハネザワヒルズには2年位しかいなかった。あの頃の写真を2o数年経ってようやく整理できた。そして頭のホッチキスが骨に溶けてレントゲンにも映らなくなった。

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